『箱男』を読了。
自らを社会から切り離し、段ボールを被って生活する「箱男」の手記の話。
手記の書き手も時間軸もころころ変わるし、現実と妄想が入り混じっていてすごく読みづらいんですが、安部公房先生の鋭敏な言語感覚に脳が馴染み始めてからは「美術館を歩き回っているような気分」になるから不思議。
とくに
“(中略)だから昔は「晒し者」などという刑罰があったが、あまり残酷すぎるというので、文明社会では廃止されてしまったほどだ。(中略)やむを得ず覗かせる場合には、それに見合った代償を要求するのが常識だ。現に、芝居や映画でも、普通見るほうが金を払い、見られる方が金を受け取ることになっている。誰だって、見られるよりは、見たいのだ。”
阿部公房. (1982). 箱男. 新潮文庫.
この一文は、人の“見る”とか”覗く”ことへの欲求と社会における”見られる”側の立ち位置を的確に言い表していて胸に刺さりました。
ストーリーとして理解するのは途中で諦めましたが、本書のテーマでもある「見るものと見られるもの」「箱の外と内」のような視点は、いつの時代でも通ずる、人間の営みにおける本質的な部分をかなり緻密に言語化してくれているので、誰かを”覗く”ことに疲れた現代人には一服の清涼剤になり得るのでは無いでしょうか。
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